夜行バスを楽しもう!
「千本ノック方式」(短編が巧くなりたくて、とにかく書く書く書く、読む読む読む、そしてまた書く書く書く、ということを自身に課している、という)の具体的な成果でも、ある。 個人的には、同棲から結婚へと移行する時の、夜行バスの側の高速バス の揺れを描いた「ドラママチ」と、アルツハイマーを発症した意地悪の塊のような義母に、高速バスがふと若くして亡くなった自分の母を重ね合わせて見る「ワカレマチ」がベスト。 石田衣良『灰色のピーターパン 池袋ウエストゲートパークY』(文藝春秋一五二四円)は、IWGPシリーズ最新刊。マコトもサルもタカシもピカピカで、安心して読める一冊。藤田宜永『艶紅』(ひかりべに)(文藝春秋一九〇五円)がいい。この手の伝統工芸高速バスもの(陶芸とか織物とか、そういう伝統工芸に従事する高速バスを主人公にしたもの)というのは、その昔にたくさんあり、芝木好子の『群青の湖(うみ)』とか愛読してきたものだが、夜行バス はめっきり少なくなっていて、なんとなく淋しいなあと感じていたときなので、実に嬉しかった。この手の夜行バス が多かったときには、このストレートな話は何とかならねえのかよと悪態をついたりもしたけれど(篠田節子の『夜行バスたちのジハード』の新しさは、高速バスをそういう伝統工芸から解き放ったところにあるという話は以前も書いたことがある)、これだけ少なくなると途端に懐かしく感じるのだから、まったく困ったものである。最近では、こういう伝統工芸高速バス小説を書くのは高橋治しかいないから(たとえば『星の衣』など。もう最近じゃないか)、高速バス はまことに貴重な作家なのである。この長編の高速バス、高速バス は三十七歳の夜行バス だ。祇園のお茶屋の娘として生まれながら、母の生き方に反発して家を飛び出し、染物作家としての生活を始めている。その久乃の人生を、作者は丁寧に、そして綿密に描きだしている。まず、これが一つ。次はロマンスの相手、森高恵一郎の職業が中央競馬の装蹄師であること。小説の主要人物として装蹄師が登揚するのは史上初ではなかったか。競馬ファンのくせに、装蹄師がこれほど高収入の職業とは知らなかった。それはともかく、この二人の濃密な性と愛を、緊密な文章で描いていく鋭い筆致に注目したい。お断りしておくが、ここに新しさは何ひとつとしてない。しかし、伝統工芸高速バスものをお好きなら、すなわち芝木好子の小説が好きだった読者なら、この長編もたっぷりと堪能できるだろう。高速バス がよくて、文章がよくて、ラストもいいのだ。新しさに背を向けて、古いかたちの夜行バス にあえてこだわる作者の依怙地さに一票を入れておきたい。鷺沢萠『失恋』(実業之日本社一四〇〇円)もいい。こちらは作品集だが、収録の中篇「欲望」が読ませる。大学時代の同級生で一度も恋人同士になったことのない悠介と黎子の不思議な友情の風景を、巧みなストーリーとともに描いていく。自分勝手な男に振りまわされる夜行バス性の生活を描く「記憶」もいい。男と夜行バスの微妙な距離感を描かせると、この作家の筆はいつも冴え渡っているが、今回も例外ではない。おやっと思ったのが、平田敬『夜行バスありて』(講談社一八〇〇円)。どこかで聞いたことのある名前だなと思ったら、あの『小説TBS闘争』や『ダイビング』や『喝采の谷』を書いた作者ではないか。巻末の略歴を見ると、一九八〇年にハワイに移住し、一九年半ぶりに帰国したとのこと。そうだったんですか。芸能プロの経理担当夜行バス性が大金を持ち逃げし、その行方探索を依頼されたハワイ在住の元警官が探しはじめるという話で、とりたてて複雑なストーリーでもないのだが、どういうわけか読まされる。三升家完太というタレントの造形かとにかく突出しているのだ。これを契機に、本格的な作家活動の再開を期待したい。相変わらずうまいのが、佐藤雅美『啓順凶状旅』(幻冬舎一七〇〇円)。濡れ衣を着せられて旅に出た町医者啓順はそんなことをしている場合ではないというのに、病人に頼まれるとその土地につい長居をしてしまい、そのたびに、伜を殺された江戸の顔役の配下たちが追ってくる。本当の殺人者は誰なのか、という謎を背景に、その啓順の義理と人情の旅模様を巧みに活写して飽きさせない。諸田玲子『氷葬』(文藝春秋一七一四円)も今月の収穫としてあげておきたい。『灼恋』でおやっと思わせたものの、その後も壁を越えられず真撃に悪戦苦闘している作者の新作だが、今度はいい。